前編では、家族信託が生前の管理で役目を終えてしまうこと、そして息を引き取られた直後に押し寄せる「死後事務」の盲点についてお伝えいたしました。
親御様が亡くなられた直後の実務を無事に乗り越えたとしても、資産をお持ちのご家庭には、さらに重篤な問題が待ち受けています。それが「10ヶ月以内の相続税納付」という厳しいタイムリミットと、焦りから判断を誤ってしまう「遺産分割協議の罠」です。
後編では、家族信託を最終的に破綻させず、円満な資産承継を実現するための「公正証書遺言」と「遺言執行者」を組み合わせた出口戦略について詳しく解説いたします。
10ヶ月という猶予のないタイムリミットと納税資金の壁
資産をお持ちのご家庭において、避けて通ることができないのが相続税の申告と納税です。法律上、相続税の申告および納付は、相続の開始を知った日の翌日から10ヶ月以内に行わなければなりません。
一見すると10ヶ月という期間には余裕があるように感じられるかもしれませんが、実務の現場ではあっという間に過ぎ去ってしまいます。
親の預貯金から直接税金は払えない
親御様が亡くなられると、金融機関は口座を凍結します。「親の口座に十分なお金があるから、そこから税金を振り込めば良い」と考えていらっしゃる方も多いのですが、口座が凍結されている以上、勝手に引き出して納税に充てることは原則としてできません。
相続人全員で遺産分割協議をまとめ、必要書類をすべて揃えて銀行の解約・払戻手続きを完了させて初めて、親の預貯金を動かすことができるようになります。
焦って遺産分割を間違えると取り返しがつかない
現場で最も深刻なのは、10ヶ月の納税期限に追われるあまり、「とにかく口座凍結を解いて納税資金を工面しなければ」と焦って遺産分割協議を進めてしまうケースです。
慌てて手続きを進めた結果、小規模宅地等の特例などの税務上の優遇措置がうまく活用できず、納める税金が何千万円も跳ね上がってしまったり、不公平な財産配分に不満を持ったご兄弟との関係が修復不可能になってしまったりします。一度実印を押して成立した遺産分割協議は、原則として後からやり直すことができません。時間に追われて下した誤った判断は、取り返しのつかない傷跡を残します。
家族信託を成功させる「公正証書遺言」と「遺言執行者」
こうした事態を防ぐための決定打となるのが、家族信託の契約と同時に「公正証書遺言」を作成し、あわせて「遺言執行者」を指定しておくことです。
信託財産以外の受け皿を遺言で確定させる
日常生活で使う普通預金口座や年金の受取口座などは、性質上、家族信託の中に入れずに親御様の手元に残しておくことが一般的です。
この信託に入っていない財産の行き先を生前の遺言書で明確に定めておくことで、親御様が亡くなられた後に、改めて相続人間で揉めやすい遺産分割協議を行う必要そのものをなくす、あるいは最小限に抑えることができます。
遺言執行者を指定して単独で口座手続きを完了させる
遺言書の中で「遺言執行者」を指定しておく実務上のメリットは極めて絶大です。
通常、凍結された口座の解約や不動産の名義変更には相続人全員の実印や印鑑証明が必要となりますが、遺言執行者が定められていれば、遺言執行者の単独の権限で速やかに口座解約や払戻手続きを進めることができます。
万が一、一部の相続人と感情的な対立が生じて協力が得られない場合であっても、手続きが滞ることなく、10ヶ月の納付期限内に親御様の預貯金から確実に納税資金を確保することが可能になります。
※根拠条文
民法上の根拠(2019年7月施行の民法改正)
2019年7月の民法改正により、遺言執行者の権限が法律上より明確になりました(民法第1012条、第1014条)。
預貯金の払戻しや解約について遺言執行者に権限がある場合、遺言執行者が単独で手続きを行うことができ、
他の相続人の実印や印鑑証明書を集める必要はありません。また、
遺言執行者がいる場合、他の相続人はその財産を勝手に処分することが禁じられています(民法第1013条)。
トラブルを防ぐ「三位一体」の出口設計
家族信託を検討されるような資産家のご家庭だからこそ、生前から死後までを一本の線で繋ぐ総合的な設計が求められます。
1.生前の資産凍結を防ぐ「家族信託」
認知症による判断能力低下に備え、生活費や介護費用の支出、実家の管理や売却をスムーズに行える状態を整えます。
2.直後の実務を迷いなく代行する「死後事務委任契約」
葬儀や火葬の手配、医療費・施設費用の清算、住居の明け渡しといった死後直後の泥臭い実務を、生前の契約に基づいて特定の受任者が速やかに実行します。
3.死後の資産承継と納税を円滑にする「公正証書遺言+遺言執行者」
信託に入らない預貯金の行き先を確定させ、遺言執行者の権限で迅速に手続きを進めることで、焦った遺産分割協議による破綻を防ぎ、10ヶ月以内の相続税納付を確実に完結させます。
財産があるからこそ最期の出口まで設計する
家族信託は、認知症による資産凍結を防ぐための非常に強力な手段です。しかし、生前の「お金の出し入れ」ができるようになっただけで安心してしまい、死後の出口を放置してしまえば、残されたご家族にとって大きな争いの火種になりかねません。
親御様がお元気なうちに、生きている間の管理、息を引き取られた直後の事務、そして最期の資産承継と納税までを一括して見据えておくこと。これこそが、大切な資産と何よりも大切な家族の絆を守るための、真の相続対策と言えます。